![]() |
|
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
2020年6月5日(金)
6月12日(金)より通常例会に戻ります。岡部ガバナーエレクトのご挨拶、また新入会員の会長ゲストとしてのご参加も予定しております。皆様ご無理のない範囲でご出席下さい。
さて、古代インドでは人生の過ごし方についての法則がありました。人の一生を4つの大きな括りに分け、そしてその時期やその時期の生き方について「あなたは今、人生のこの時期だからこう生きなさい」と知恵を示したのです。その法典は「マヌ法典」というものです。紀元前200年から紀元後200年の間に成立したものと推定されていますが、この法典では人生を4つに分ける「四住期(しじゅうき)」という考えが明記されております。その4つとは「学生期(がくしょうき)」、「家住期(かじゅうき)」、「林住期(りんじゅうき)」、「遊行期(ゆうぎょうき)」の4つです。そしてそれぞれの期間は次のように定義付けられています。まずは「学生期」。これは年齢的には0歳〜24歳までで、誕生して人間としての生きる知恵をつけるための学びの時期とされます。次に「家住期」。これは25歳〜49歳までで、社会人として伴侶を得て家庭を作り仕事に励むという人生で最も充実した時期です。そして3番目は「林住期」。これは50歳〜74歳までで、仕事や家庭から卒業し林に庵(いおり)を構えて自らの来し方・行く末を深く瞑想する時期とされます。いわば第二の人生の充電期といっていいと思います。そして最後の「遊行期」。75歳〜100歳までで、林(つまり庵)から出て思うままに遊行して人に道を説き、人生の知恵を人々に授ける時期としています。日本では今「人生80年」と言われていますので、この4期の年齢区分を1期20年として換算しますと、多少の差異はあるかもしれませんが、この頃はさらに「人生100年」と取り沙汰されるようにもなってきていますので、だいたいはこの年齢区分で通ずるかと思います。こうした区分からみますと、私たちロータリーの会員の方々はだいたい「林住期」か「遊行期」とりわけ「林住期」(50歳〜74歳に当たる方が多いかと思いますが、いかがでしょうか?)
こうした古代インドの知恵、人生論は一聴に値するものと思います。50歳〜75歳…、社会人として務め、あるいは務めを終えた後のすべての人が迎える最も輝かしい第三の人生「林住期」は人生の黄金期でもあります。一生働くだけの人生などという愚を避け、人生の黄金期、収穫期といいますか、人生のクライマックスを「林住期」という第三の人生において心ゆくまで生きるのが人間らしい生き方なのだというわけです。林住期は、これまで蓄えてきた体力、気力、経験、キャリア、能力、センスなど自分が磨いてきたものを土台にしてジャンプする時間を取り戻す季節であり、人生におけるジャンプ、離陸の季節でもあります。林住期はやりたいことをする…人生二毛作などといった言葉が囁かれるのもむべなるかであります。しかし、老後を自由に生きる「林住期」と死を見つめる「遊行期」という人生後半の生き方はとかく難しいものです。世間では老いるということが不快な現象のように語られます。そしてそれに対する切ない反抗が「アンチエイジング」などという表現です。年を取る、老いるということは、佇まいが静謐(せいひつ)になること、無常を受け入れることといった見方もあります。かの吉田兼好は、死の訪れ方についてこう言っています。「死は前よりきたらず」「かねてうしろにせまれり」。つまり、死は前の方から徐々に近付いて来るのではなく、背後からぽんと肩を叩かれ不意に訪れるものだと。人生の余白でもある「遊行期」の段階でどう人生を締め括るか、一生を総括する事の難しいことはいうまでもありませんが、こういう辞世があります。「六(ろく)でなき仕事も既にやり終えて先立つ妻に会うぞ嬉しき」。これはかの清水次郎長の辞世です。東海道の大親分として名を馳せた次郎長ですが、生き尽くした感慨は伴侶への思い入れでした。こんな歌を詠まれて、お蝶さんもさぞ浮かばれたことでしょう。
![]() |
|
![]() |
名古屋北ロータリークラブ フォーティーンヒルズセンタービル604号室 |